大阪高等裁判所 昭和53年(う)778号 判決 1979年3月16日
本籍
神戸市北区道場町道場一六番地
住所
同市同区有野町有野二三七八番地
病院経営
近藤直
昭和一二年一〇月二九日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五三年二月一七日神戸地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。
検察官 増田光雄出席
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人鍛治巧、同石原鼎、同谷口正信共同作成の控訴趣意書、同補足説明書に記載のとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意二(事実誤認の主張)について
論旨は、要するに、原判決は被告人の昭和四五年、四六年分の実際所得金額を過大に認定した誤がある、というのであるが、以下その主張の各根拠に即して順次判断を示すこととする。
(一) 控訴趣意二の(一)(二)について
論旨は、原判決が被告人の医療所得を認定するにあたり、厳格な認定方式であるいわゆる損益計算法を用いず、便宣な推計方式であるいわゆる財産増減法を用いたのは、不当であつて、その結果導き出された所得は過大なものとなつている疑がある、という。
しかしながら、医療所得の認定は、方法のいかんを問わず、要は正確になされればよいのであつて、所論のように必ず損益計算法を用いなければならないと解すべき理由は見当らない。そして、原判決が詳細に説示するとおり、本件のように関係帳簿が正確に記帳されておらず、関係書類に不備、滅失があり、ために損益取引を正しく把握することができない場合には、損益取引以外の事由による財産の増減の有無に留意を払いながら、財産増減法によつて医療所得を認定することも、決して違法、不当ではない。したがつて、原判決が財産増減法に基づいて医療所得を認定したこと自体から、その認定所得金額が当然に正確性を欠くことになる旨の所論は、採用することができない。
(二) 控訴趣意二の(三)について
論旨は、原判決が「被告人の主張によると両年度を通じ、査察官の計上した収入中には、その請求手続を代行したため保険会社等から送金されてきて、そのまま患者に交付すべき慰藉料、付添料や休業補償等が含まれているというのであり、そしてそのような可能性を否定する証拠は全く存しない」と判示しながらも、「その実否ないし金額については検察官も被告人も明らかにしようとしないし、他の証拠を精査するもこれを明らかにすべきものがない」とし、預り金が含まれている金額を所得額と認定しているのは、確信のない心証で犯罪事実を認定したものである、という。
しかしながら、右のような預り金は、その性質上、近藤病院が受取つた後直ちに患者に交付されるべきものであつて、原判決の認定した所得に誤り算入された可能性はほとんどないとみてよい。のみならず、それは、近藤病院の側においてことさらにその存在を秘匿し又はその証拠書類を滅失する必要のないものであるのに、関係証拠によると、査察段階、捜査段階を通じて被告人を含む近藤病院関係者からその事実について何らの申立てもなされておらず、証拠書類の提出もない。こうした点を考えると、原判決が右のような預り金は実際には収入中に誤り算入されていないものとして所得を認定したのは相当であつて、右所論は採用しがたい。
(三) 控訴趣意二の(四)について
論旨は、近藤病院の産婦人科、小児科の診療は被告人の妻近藤千里が専任担当していたのであるから、右両科の医療収入は税法上同女に帰属したものと認めるべきであり、少なくとも同女の医師としての給料相当額を被告人の所得の計算にあたり必要経費として控除すべきである、という。
しかしながら、関係証拠ことに被告人の国税査察官に対する質問てん末書及び所得税確定申告書騰本によると、当時、近藤病院の医療収入は、被告人の妻が担当する産婦人科、小児科からの収入を含め、その全部が被告人に帰属していたことが明白であつて、所論のように同病院が被告人と妻との共同経営体であつたとみるべき証拠はまつたく存在しない。また、原審で証拠調済みの兵庫税務署長作成「所得税の青色申告の承認取消し通知書」によると、昭和四九年五月二一日付で被告人に対する昭和四四年以降の青色申告の承認が取消されていることが明らかであつて、本件の昭和四五年、四六年分の所得計算にあたつても、青色申告に伴う事業専従者給与額控除の特例が認められないこととなつたのであるから、所得税法上、被告人の妻に対する給料相当額を被告人の所得計算上必要経費として控除する余地はない。これらの点に関する原判決の判断はいずれも正当であつて、右所論も採用の限りでない。
(四) 控訴趣意二の(五)について
論旨は、被告人が権藤美佐子から九〇〇万円で買受けた土地建物は、山川雅義医師を近藤病院の副院長として招くにあたつて提供する約束であつたから、この代金を支度金として処理することを認めるべきである、という。
しかしながら、関係証拠ことに被告人の国税査察官に対する昭和四八年六月二三日付質問てん末書及び原審第五回公判における被告人の供述によると、右土地建物を取得した時点から被告人がこれを所有していたことが明らかであつて、昭和四六年五月から一時期山川医師が右の建物に居住していた事実こそ右証拠により認められるものの、昭和四五年、四六年中に、所論のように被告人が右土地建物の取得代金九〇〇万円を山川医師に贈与したと認めるべき証跡は全く存在しない。右所論も採用しがたい。
以上のとおりであるから原判決には所論のような事実誤認はなく、論旨はいずれも理由がない。
控訴趣意三(量刑不当の主張)について
論旨は、原判決が被告人に対し懲役刑と罰金刑を併科したのは不当であり、罰金刑のみをもつて処断されたい、という。
しかしながら、記録を調査するに、本件は、病院長である被告人が、自ら事務長ら関係者に指示し、外来患者の診療収入の一部を除外させたり、納税申告にあたつて実際の取引金額と異なる診療収入、仕入金額、人件費等の経費を計上させたりして、裏資金を捻出したうえ、不動産を取得し又は仮名の定期預金を設定するなどの不正手段を用い、合計一億六、六六七万余円の所得税を免れたものである。こうした事犯の規模と計画性及び被告人の関与の程度を考えるときは、その犯情は所論のように軽視できるものではなく、被告人が親子累代にわたり地域社会の医療に貢献してきたこと、病院の人的物的拡充に熱意をもつあまり本件の脱税に及んだという一面もあることなど所論指摘の被告人に有利な事情を酌んでも、とうてい罰金刑をもつて処断すべき案件ではなく、原判決が被告人に対し懲役一年、三年間刑執行猶予、罰金二、五〇〇万円を科したのはやむを得ないものと考える。論旨は理由がない。
よつて刑事訴訟法三九六条により主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 瓦谷末雄 裁判官 香城敏磨 裁判官 鈴木正義)
昭和五三年(う)第七七八号
所得税法違反被告控訴事件
○控訴趣意書
所得税法違反 近藤直
右の者に対する頭書被告事件についての控訴の趣旨は、左記のとおりであります。
昭和五十三年七月十三日
主任弁護人 弁護士 鍛治巧
弁護人 弁護士 石原鼎
弁護人 弁護士 谷口正信
大阪高等裁判所第七刑事部
御中
記
一、はじめに
本件各控訴事実について、先般、原審の神戸地方裁判所は、近藤院長(あえて被告人という呼び方を避けることと致します)に対し、懲役一年及び罰金二、五〇〇万円を併科する旨の判決云渡を為されたのでありますが、弁護人は、本件記録を再度精査し、事実関係についても今一度慎重な検討を加え、同種事案について云渡された裁判事例を比較してみても、なお、原審の判決には、事実認定と刑の量定の両面に亘つて、どうしても納得出来ない点がありましたので、万止むなく控訴に及び、再度、弁護人の意見を開陳させて頂き、高等裁判所のより高度な御明鑑にお訴え致したく念ずる次第であります。
二、原審判決には、事実の誤認があるものと思料されます。(法三八二条)
原審判決は、原審公判廷に顕出された膨大な証拠資料について詳細な検討を加えられた結果、検察官公訴に係る訴因、特に犯則所得額及びその内容には右算出の基礎となりました所謂財産増減法そのものについても懇切な説明がなされており、原審裁判官の御苦労を多とするものでありますがなお、事実関係の把握認識について、どうしても納得しかねる部分があり、右事実関係の認識如何で判決が左右されるほどの重大さを持つているものと思料されます為、敢て、本件控訴申立に及んだ次第であります。
(一) 財産増減法について
周知の如く、所得の確定方法としては、所謂B・S立証とP・L立証という二つが考えられ、原審の審理の過程においても、検察官が作るB・S立証に対し、弁護人は深い疑問を抱きB・S立証による事実認定が必然的に陥る危険性を指摘し、調査官・検察官の採られる容易な立証方法を批判した為に、右の点が、本件査察事案の根本的な争点となつておりましたことは、本件記録上も明白なところであります。
右の点について、原審判決は、財産増減法による損益計算に対し致命的な難点を「いわゆる棚卸式に或時点における財産額を確定するものであるから捕捉しがたい資産或いは負債があること、損益取引以外の正味財産の増減事由、特に元入金の増減が混在していないかを注意しなければならないこと」にある旨指摘されながらも、「財産増減法によつて犯則額を確定することは適法である」と結論づけられております。
財産増減法による損益計算が不当であることは、弁護人が原審での最終弁論の際に既に詳説したとおりであり(原審弁論要旨第一章貸借対照表による所得の立証について)、原審判決も財産増減法により犯則額を確定しようとされる立場を採られる限り、正確な損益計算は困難ないし不可能であると云わざるを得ないものであり、右立場が以下の如き事実及び計数についての誤認を招来したものと思料するものであります。
云うまでもなく直税に関する刑事事件は、他の刑事事件の如く、被告人の行為が一個だけで一罪を成立すると云つたような単純なものではなく、一事業年度における数千回、数万回にも及ぶ多数の行為や、期間中に生じた減価償却等の事実が集つて一個の犯罪の成否が決定されるものであります。
成程、法律は、詐欺その他不正の方法により所得税を免れることをもつて構成要件とはしていますが、犯罪事実として表現するためには、具体的に金額いくばくの所得を免れたかを明らかにしなければならず、そのためには前記のように多数回に及ぶ行為や減価償却等の事実を正確に把握することが絶対的要件となるのであります。
そして、右のような行為を完全に記録によつて把握しうるケースというものは絶無といつても云い過ぎではありません。また、それらを完全に暗記していて、調査官や捜査官から尋ねられたとき、その全てが答えられるというような人も亦絶無であります。
以上のようなことが、査察事案における真実把握が非常に困難であるとされる由縁であり、その故にこそ、査察事案において事実の認定及び計数の把握については、特に一般の刑事事件とは比較にならない程の慎重な配慮を必要とされるものであります。
罪刑法定主義の立前上、所得税法違反で人を処断する為には、所得税法第二七条・第二三八条に定める構成要件の具備如何について、厳格な吟味が必要とされる訳でありますが財産増減法は、国税局側がただ税金を徴収する為に便宣な推計方式であるにすぎず、決して人を処断する為のものではないと確信致します。所得税法第二三八条に定める「いつわりその他不正の行為による所得」という構成要件事実を立証する為には、税務会計理論学者の所謂「B・SとP・Lの因果関係」の存在について正確に吟味し厳格な立証を必要とするものと思料致します。
「所得」は、構成要件の中心的事実であり、これを正確に把握する為には、B・SとP・Lとの因果関係を明確にし収支の各費目がP・Lを通じてB・Sのどの勘定科目に現われているかを詳細に吟味検討する必要があり、これらの検討吟味が厳格に出来てはじめて人を処断できる訳であります。
(二) 証拠不充分
事件告発に当り、検察側は、正確なP・Lが存在しないことに不安の念を抱き国税局側にP・Lを作成すべきこと及びB・SとP・Lとの因果関係が説明出来ない限り告発は不可能である旨説明されたが、国税局側は、一般的にはP・Lの存在及びB・SとP・Lとの因果関係の説明が必要ではあるが時にはB・Sと査察官の質問顛末書でも十分であるという基本的態度を固持したと聞いております。
原審判決の挙示される証拠の標目をみても、本件各公訴事実認定の中心的証拠とされたものは、大蔵事務官作成の脱税額計算書、同資料、資料付表、所得税確定申告書騰本であり、右各書証作成の基礎資料とされたものは何かを詳しく調査致しますと殆んどが査察官の質問顛末書であることが判るのであります。
ところで、原審裁判所も、弁護人の再三の要求に応じて文字どおり渋々提出された検察側の損益計算書に対し明確に不信の念を現わし「全般の証拠から、本件は、昭和四五年分及び四六年分とも損益に関する帳簿伝票が極めて不十分で正確な損益計算は不可能と認められ、従つて収入や経費の算定でも推計を大巾に繰り入れてようやく作成できた査察官作成の損益計算書(第一九回公判で取調のもの)は参考とするにとどめ」るべき旨判示されております。
それでは、質問顛末書の信用性はどの程度のものなのでしようか。
質問顛末書の作成者は、周知の如く、国税局の査察官であつて検察官や警察官ではなく、作成に当つて刑事訴訟法が定めるような黙否権、供述拒否権の告知や調書の閲覧ないしは読み聞けもなく(刑事訴訟法)、顛末を供述する側も取調べを受けるという心理的負担に加え、忘却や記憶違い更には迎合など必ずしも真実を供述するとは限らず、現に、近藤院長自身も、早く査察官の取調が終つて欲しい為に、査察官の云うとおりに諸問顛末書を作成してもらつたと昭和五〇年一一月二一日第一三回公判廷で述べている程で、到底、正確な計数を把握する基礎資料たり得ないものであります。
原審判決が適法だと判示される財産増減法による計数把握はその前提として、正確な収支計算の存在が必要であるとされております。
元来、財産増減法は、我国の企業が高度成長を開始した昭和三三年頃から、大会社等で確実な収支計算と財産増減法による相関関係を観察し、会社の発展、節税対策などを検討する為に導入されたものであるといわれており、現在アメリカの多くの州で、国税局が大会社の為にコンピユーター・システムを活用して確実な収支計算を為し納税対策の方針案を作成する為に活用されているものであります。ところが、本件事案は財産増減法による計数把握の前提として必要とされるべき正確な収支計算自体が不明確である訳であります。
近藤院長は、国税局が昭和四七年一二月一日近藤病院で証拠書類を押収された日以後、病院の関係者全員を挙げて収支計算を明確にし国税局の査察に協力されたものですが、当時の顧問岸野税理士が勝手に伝票・帳簿を作成したものや、伝票・帳簿の一部が同税理士の倉庫にあつたり、伝票・帳簿が消失されていたり不審な事実の数々をはじめて発見されるに至つたのであります。特に、国税局は、近藤病院の経理計数を知悉・通暁している岸野税理士を調査の対象から除外されたこと(右除外することについては、国税局に対し税理士グループから強い陳情が為された由であります)、査察の過程で収支計算の不整合の存在を感知しながら之を徹底的に究明しようとされなかつた点に、原審裁判所をして事実の正確を困難にさせた大きな原因があるものと思料されます。
(三) 保険請求の代行
弁護人は、原審において、自費収入の算出についての査察官の調査が不十分であり、その故に、構成要件事実の一つである「所得」の金額内容が著しく不明瞭になつている事実を弁論要旨中で指摘致しました。この点について、原審判決は、国税局側の「具体的な計算過程において次の如き誤りや疑問点が存する」と正当に認識されたうえ「被告人の主張によると両年度を通じ、査察官の計上した収人中には、その請求手続を代行したため保険会社等から送金されてきて、そのまま患者に交付すべき慰藉料、付添料や休業補償等が含まれているというのであり、そしてそのような可能性を否定する証拠は全く存在しない」とされながらも、結局は「その実否ないし金額については検察官も被告人も明らかにしようとしないし、他の証拠を精査するもこれを明らかにすべきものがない」と判示され、結論としては莫大な預り金をそのまま近藤院長の個人所得であるように認定されているわけであります。
所得税法違反事件において、「所得」は構成要件事実であり、刑事手続の原則上、構成要件事実についての挙証責任は全て原告たる検察官にあり、被告人側が反証を挙げて裁判官の心証形成に動揺が生じた場合には、検察官は確信の程度まで裁判官の心証形成を高める必要があり、裁判官も要証事実については一応の心証では足りず確信を以て裁判すべきものとされているのであります。
原審判決によると、両年度を通じ査察官の計上した収入中には、患者に交付すべき慰藉料、付添料や休業補償等が含まれていた可能性を認めており、裁判官も心証形成上可成りな疑問を抱いておられるものと推測される訳でありますが、検察官はその可能性を否定する証拠を提出されることなく、その存否ないし金額についても不明のままに終つたものであります。
結論として、検察官は近藤院長の収入中に患者に交付すべき慰藉料等の預り金がどれ程含まれ、逆に、これらの預り金を控除した純収入がどれ程になるのか何等立証されず、裁判官もこの点に疑問を持たれながらそのまま近藤院長に対し有罪判決の云渡をされてしまつたのであります。
預り金が含まれている可能性を指摘されながらも、預り金を控除した純所得が幾らなのか逆に解明されないで、果して構成要件事実について十分な証明が為されたものと云えましようか。犯罪の証明がなかつたものとして、無罪とされるべきか、あるいは審理不尽の問題が生ずるものと思料されるのであります。
原審判決は、昭和四五年分の実際所得金額を一億二、二二八万一、一六三円と、同四六年のそれを一億九、九六九万九、〇八八円と夫々認定され、その中に、純然たる医療費の数倍、十数倍に相当する患者へ支払われるべき預り金が含まれている可能性を認めながらも、逆に、右預り金を控除することに考慮を払われなかつたものであります。
因みに、弁護人は、患者へ交付すべき慰藉料、付添料、休業補償等所謂構成要件阻却事由的事実の存在及びその金額を立証しようとして、原審の公判過程中に、日本損害保険協合神戸地方委員会、優生保護協会、神戸市北区役所有野出張所等に対し、必死の想いで、弁護士法第二三条所定の方法を以て、「近藤病院に対する昭和四五年度、同四六年度について、自動車損害賠償保険に基く、各保険会社別の、保険金の支払明細如何」その他の事項について照会したものでありますが、不幸にして、照会事項が古く且つ照会先で取扱かわれる支払案件が年間膨大な数量に達する為に、作業上困難を理由に回答が得られなかつたものであります。
現在なお各関係機関に支払を記帳した資料が保管されている訳ですから、検察官ないしは国税局の公権力と人手を以てすれば、この点の調査検討は容易であろうと思料致す次第であります。
(四) 近藤千里医師の収入
原審判決は、近藤病院が近藤院長と近藤千里医師との共同経営体であることを認められず、更に近藤院長から近藤千里医師に対する給料相当額(昭和四五年一、一三二万五、〇〇〇円、同四六年分一、二五七万円)を近藤院長の所得計算上必要経費として控除すべきであるとの弁護人の主張も、現行所得税法の解釈としては到底採用することができないと判示されています。
しかし、近藤病院には、外科等のほかに、産婦人科、小児科が診療科目に含まれ、産婦人科、小児科は近藤千里医師の専任担当とされております。近藤院長は、近藤千里医師の協力があつてはじめて産婦人科、小児科の診療が可能とされているものであります。
近藤病院全体の収入が専ら近藤院長一人に帰属すると判示されるのは、事実誤認に基くものとしか考えられず、産婦人科、小児科の医療収入は税法上近藤千里医師に帰属すべきか、若し帰属出来ない場合には、少なくとも弁護人主張の如く給料相当額を近藤病院では、所得計算上必要経費として控除すべきであると思料するものであります。
いわんや、原審判決は、近藤院長の両親が近藤病院において治療行為に従事していた点について表面上は両親の給料を認めないとしながらも、終局においては近藤病院より両親に給付した医薬品代、給食費等を相殺した形において実質的には両親の給料を認めておるのでありますから、近藤千里医師についても同様に解し給料相当額を必要経費として計上すべきものと思料されます。本件査察以後は、近藤千里医師の所得は近藤院長の所得とは別に計上され、別に納税申告されているものでありますが、所轄の兵庫税務署は間違いなく申告通りの処理をしております。
因みに、昭和五二年度分所得(昭和五三年三月一五日申告)についてみますと、近藤院長の申告所得額は七、〇一四万七、七〇六円であり、近藤千里医師のそれは二、七〇二万一、四五九円となつております。
(五) 山川医師の住宅
原審判決は、近藤院長が権藤美佐子から代金九〇〇万円で買受けた土地建物は、山川雅義医師を近藤病院副院長として招くに当つて提供する約束であつたものであるからこの代金を支度金として処理する旨の弁護人の主張を排斥しております。
山川医師を国立高野台病院から招くに至つた経緯及びその際の約束等の詳細は、弁護人が原審の弁論要旨中に既に説明したとおりでありますが、医師を遠くから招くのにその住宅を提供することは医業界の常識的なことで、近藤院長もかかる常識に従い山川医師用の土地建物を購入されたもので、たまたま所有名義人の切換が遅れ、山川雅義に移転されていなかつただけのものであります。
従つて帰属の不明確なものは、右の如く全て、近藤院長の所有と見做すことについてはその合理的根拠に乏しいといわざるを得ないところであります。
三、原審判決は、刑の量定が不当であると思料されます。(法三八一条)
原審の神戸地方裁判所では、昭和四九年六月二七日の第一回公判から昭和五三年二月一七日の判決宣言に至る迄、検察官や弁護人から提出された膨大な証拠資料や数多くの証人について長期に亘り慎重丁寧な審理を重ねて頂き、近藤院長は勿論弁護人も、原審裁判所の御協力に感謝致しているものでありますが、以下に挙げます事実と理由とにより、本件事案について懲役刑と罰金刑とを併科されたこと、特に、執行猶予を付けて頂いたとは云え、有期懲役刑が選択されて云渡されたことはいかにも刑が重すぎ、従つて、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する結果を招来するものと思料されるものであります。
(一) 経歴
近藤院長は、昭和一二年一〇月二九日、神戸市北区道場町道場 六番地で、父近藤一医師、母近藤千鶴医師の長男として出生され地元の三田高等学校を経て、昭和三六年東京医科大学を卒業后、一年間のインターンを終え、昭和三七年四月から神戸市中央市民病院外科及び関西医科大学病理学に在籍し、研究生活を送られた後、昭和四二年九月一日から郷里に近い神戸市北区有野町有野二三七八番地で近藤病院を開設され現在に至つているものであります。
勿論、近藤院長と神戸市北区の住民との接触は遠く、院長の両親の時代まで、さかのぼり得るものであります。
近藤院長の実父近藤一医師・実母近藤千鶴医師は、昭和十一年にその頃無医村でありました神戸市北区道場町(当時は、兵庫県有馬郡道場村)で「近藤医院」という診療所を開設されて以来、村医・小学校医として、数多くの村民の危急を救われ、当時田舎のことゝて寒中深夜をいとわず隣村僻地へ往診などされた結果、過去積年に亘り地域住民から高度の信頼と深い尊敬・敬愛の念を以て「近藤さん、近藤さん」と云つて迎かれているものであります。
因みに、弁護人(鍛治巧)は幼少の頃実家が、「近藤医院」の真隣に在りました為、寒中深夜患者の家族の者が、急病発生の為気狂の如く右診療所の門をたたき、近藤一医師が遠路をいとわず直ちに往診に出掛けられる姿を数え切れない程目撃し、更には昭和一二年頃裏六甲を襲つた大風水害の跡の有馬川(武庫川の上流)河川改修の土木人夫が血まみれの大怪我をして「近藤医院」に運び込まれ、近藤一・千鶴両医師の応急手術で一命をとりとめた状況を目撃し、幼な心にその尊さに胸打たれ、将来医師に成つて人の為、世の為に尽そうと心ひそかに決心したことがあつた程であります。
近藤院長は、このような両親のもとで生を受け、このような家庭環境・雰囲気のもとで育くまれ、成人されたもので、生まれながらにして、仁術をもつて地域社会に奉仕しようとする医師として最も必要なヒユーマニズムをその主義・信条とされるに至つたものであります。
近藤院長の妻近藤千里氏も医師、母方の叔母に当る伸上徳子氏も医師という具合に、親子累代に亘り文字どおり家族ぐるみで地域社会の医療に貢献されているものであります。
(二) 性格と信条
近藤院長は生まれながらにして「医の心」を信条とされ、地域社会に対して貢献し得ることは、自分が医師としての知識と技術をもとに、その分野において真剣に活動する以外にはないものと考えておられるようであります。
即ち、それぞれがその分野において社会の為に真剣に考え、真剣にその任務に取組んで行くことによつて社会は安定し人類の幸福が導かれるという信念の持主と思われます。そして、前述の如く、医師として最も必要なヒユーマニズムに徹している人であります。
特に、去る有馬温泉池之坊満月城の大火の際には、焼死者はとも角として、重症患者の一〇〇%を近藤病院に収容し無事救出治療出来たことは、当時の地元新聞で大々的に報道されたことですし、今日もなお私達の記憶にも鮮明なことであります。
近藤院長が、これらの功績により幾多の感謝状を頂いておられることは、原審公判廷へ参考までに提出致しました書証のとおりであります。(昭和五二年七月八日第二一回公判)。
近藤院長は、病院での物故者の霊を慶く弔い、毎年物故者の為に道場町の法性寺で病院関係者の手で手厚く供養を行うなどの気配りをされているものであります。
なお、病院を訪れる患者の中には、失業者、無職者は勿論、所謂低所得者階層の人達も沢山含まれている訳でありますが、近藤院長は、このような人達についても深い理解と温い同情を寄せ、医療費等の支払面でも十二分の配慮を施しておられるのであります。
今日、地元三田市、北神戸地区は云うに及ばず、遠く淡路島・豊岡・柏原・岡山等からも近藤院長の人徳を慕し、その医術を受けに患者が多数来院しておりますことは、敢て、原審での証人田中健造氏、内田治良氏、福中一民氏の証言をまつまでもないことであります。
(三) 病院の新増設へ
近藤院長は、医師として、ヒユーマニストとして、この世で病める人をより完全な状況において救いたいという理想に燃えている方であります。医者が居ない為にあるいは医療施設がない為に十分の治療も受けられないで苦しんでいる人があれば、何をさておいても医療面からの救済の手をさしのべようとされる情緒を持つて今日まで懸命に生き抜いて来られたものであります。
周知の如く、北神戸地区は昭和四〇年頃から日毎に開発が進み人口も激増の一途をたどりました。ところが、人口が激増しそれに伴い重症患者も激増するのに、北神戸地域には所謂、総合病院が一つも存在せず、神戸市ないし兵庫県も折柄、赤字財政を抱えてとても公立病院を新規に開設する余裕もなく、その故に、救わるべき人が数多く尊い命を失つて行く状態にあつたものであります。
右のような現状を打開する為に、当時の原口神戸市長の強い要望もあり、市民病院に代つて北神戸の地域医療、特に救急医療の為に、近藤病院を開設する運びになつたものであります。
一つの病院を建設することは、物心両面に亘り、大変な努力・苦労が必要とされます。資金的にも莫大な苦労が要求されます。近藤院長は、これらの苦労を乗り越え、昭和四二年九月一日五〇床をもつて近藤病院を開設されたものでありますが、開院一日半にして右五〇床はたちまち満床となり廊下に迄患者を収容しなければならない有様であつたものであります。
広く地域社会の医療に貢献し、出来るだけ数多くの人を救済したいという近藤院長の理想実現には、はるかに遠い現実であつた訳であります。
止むなく、増築を迫まられ、昭和四三年、昭和四四年、昭和四六年と三度に亘り、病院増築工事が為されたものであります。
近藤院長が本件の如き挙に出られた最大の動機は、病院を整備拡大し、物的人的設備の充実を図り、救急病院としての使命を果たそうとされたためで、決して、院長個人の私利私欲を図ろうとされたものではありません。
因みに、近藤院長は、家族共々最近まで病院の看護婦寮の棟続きの小さな家屋に不便をしのんで住み院長個人の生活費は極度に切りつめ、全力を貢げて病院建設更にはその設備の拡大充実に注入されたものであります。院長は、昨年やつと個人宅を持つに至つたものであり、それ迄の院長宅は、本来の看護婦寮に返されております。
(四) 事件査察前
近藤院長は医師であり、多忙な医療活動に寧日なき有様でありました関係で、税務には全く認識がなく、全て、近藤病院の顧問税理士岸野正信氏に之を委ねられていたものであります。
岸野税理士は、毎年、納税期には所轄の兵庫税務署に赴き、事前に税務相談を受け兵庫税務署の指導に従い申告を済ませていたもので、本件対象とされました昭和四五年度・昭和四六年度も、その例外ではありません。
本件事案について、近藤院長は所得税法違反の故意犯として査察を受け起訴されたものでありますが、弁護人は、近藤院長から何度も納税申告の手順について説明を受け、関係者から事情を聴取し、確定していつた事実関係を基礎に、近藤院長について故意の存在を阻却する強い心証を持つた程ですが、近藤院長は病院の最高責任者として刑事責任を他に転嫁されることを潔しとされなかつたものであります。
弁護人と致しましては、今日でも尚、何故、国税局更には裁判所で、岸野税理士が追求を受けなかつたのか、兵庫税務署の指導申告に忠実に従つた税務申告に対し、査察を受け裁判所で有罪判決の云渡をされなければならないのか、少なからず疑問に思うところであります。
(五) 本件査察后
近藤院長は、本件査察により、自分の理想がどうであろうと、税法に違反したことは間違つていたという反省のもとに、安東世顔・池田卓弥・津村輝男三税理士の指導のもとに、会計帳簿を整理し、経理専従者を置き、完全なガラス張りの経理をされるようになりました。そして、これをより完全なものにする為に、目下、個人病院である近藤病院を法人組織に改組することまで検討されております。
特に、窓口では、第三者の工作が出来ないように収入を完全に記帳保存できるよう改善されており、再び本件のような行為を繰り返すことは絶対にありません。
なお、査察事件以来、今年度まで前後六回に亘り、納税申告を行つておられますが、何ら問題も生じておりません。
他方納税の問題につきましては、担当税理士を通じ目下国税局と円満な話合いが続けられておりますが昭和四四年度・昭和四五年度・昭和四六年度分については、すでに一億二、〇〇〇万円にのぼる多額の所得税を納入しております。
(六) 査察事件の端緒
本件について、検察官は論告において極めて悪質の如く論難され、大久保査察官は、「本件査察の端緒は、近藤病院の納税額が同規模の病院に比し、極めて低いからである」旨述べておりますが(昭和五二年三月四日第一八回公判)、右証言には明白な誤りがあります。即ち、全国高額所得者名簿(昭和五二年七月八日第二一回公判廷に提出)によると、近藤院長の納税額は、昭和四五年度・昭和四六年度共に上位にランクされており、決して同規模の病院に比べ少額に失することはなく、むしろ多すぎるぐらいであります。
(七) 本件告発と起訴
本件告発については、証拠が十分集まらず集まつた証拠に関する解明も思うにまかせなかつたこと、近藤院長が兵庫税務署の指導申告に忠実に従つていたことなどの理由から、国税局内部でも慎重論が多く、事実、担当査察官も近藤院長に対し、あるいは告発にならないかも知れないというような言葉を洩らされたということで、本件が他の査察事件と全く異つた内容、性質を持つていることが判ります。
国税局側担当官の内の一人であります大久保新一郎氏も、近藤院長と大久保氏との昭和四九年九月一六日の大阪国税局での会談においても、両親及び妻の給料、西館増築に伴う経費等については、税金の計算上「経費」として認めたい意向である旨言明された程であります。
検察官の取調段階において、担当の豊島検事は、査察計算の調整について十分に話合するように指示されたのでありますが、何故か、国税局側担当官は折角の豊島検事の指示にも従われず、近藤院長と話合をする機会を故意に回避されたものであります。
原審の審理が大変長期化し争点が多岐に分れてしまつたのも、近藤院長や弁護人が敢て抗争を為したためではなく、かかる査察段階での調査の不十分強いて言えば、告発の無理に起因するところが大であつたと思料される訳であります。
原審での第三回公判の翌日、近藤院長は担当の松岡検事から直接電話連絡を受け、査察計算についての調整の為の話合を提案されたのも、既に由来するものと存じます。
本事件の量刑に当つては、このような経過についても十二分に御斟酌賜りたいと念願いたします。
(八) 量刑の一般的基準
刑の量定については、現行法にはそのよるべき規定がなく、事実の認定より困難であると云われております。周知の如く、量刑の基準については、戦前の昭和一五年に採択された改正刑法仮案には、刑の適用上考慮すべき事実即ち情状として多くの事項を列挙していたものであります。
即ち、刑の適用については、犯人の性格、年令および境遇並びに犯罪の情状および犯罪後の情況を考察し、特に以下に掲げる事項を参酌すべしとされていたものであります。
<1>犯人の経歴、習慣および遺伝 <2>犯罪の決意の強弱 <3>犯罪の動機が忠孝その他の道義上または公益上非難すべきものなりや否やまたは有怒すべきものなりや否 <4>犯罪が恐怖、驚愕、興奮狼狽、挑発、威迫、群衆暗示その他これに類似する事由に基づくものなりや否 <5>親族、後見、師弟、雇傭その他これに類似する関係を濫用または蔑視して罪を犯さしめたるものなりや否 <6>犯罪の手段残酷なりや否 <7>犯罪の計画の大小および犯罪により生じたる危険または実害の軽重 <8>罪を犯したる後悔俉したや否 損害を賠償しその他実害を軽減するため努力したりや否などであります。
そして、右改正刑法仮案と同様、改正刑法草案にも、刑の適用に関する一般的な基準を左のとおり定めております(四八条)。
<1>刑は、犯人の責任に応じて量定しなければならない。<2>刑の適用に当つては、犯人の年令、性格、経歴及び環境、犯罪の動機、方法、結果及び社会的影響、犯罪後における犯人の態度その他の事情を考慮し、犯罪の抑制及び犯人の改善更正に役立つことを目的としなければならない。
本件の場合も、近藤院長に対する刑種の選択、刑の軽重についての量定に当り、当然、右改正刑法仮案ないしは改正刑法草案に定める一般的な基準に関し、慎重な吟味が為されるべきものであります。
特に一般の刑事事件と異なり、本件は医師という社会的地位に在る人に対するものであること、近藤院長が当年四〇歳という将来のある中堅医師であること、今回の事件を深く反省していること、新聞・テレビ等で既に社会的に制裁を十分に受けていることなどを御斟酌賜りたいと存じます。
(九) 量刑の具体例
次ぎに裁判所は従来右の一般的基準に立脚して、本件同種事案において、医師ないしは病院に対し具体的に如何なる刑種を選択し、如何なる刑の量定為して来たか参考までに検討致したいと存じます。
因みに、以下の例は、決して同種裁判例を網羅したものではありませんが、今日まで弁護人において集め得た全てのものであります。
(1) 被告人名 医師 貴島秀彦
事件名 昭和四二年 (わ) 第七六三号
所得税法違反
裁判所名 大阪地方裁判所(三六刑事部)
宣告日 昭和四三年四月四日
主文 罰金 二、九〇〇万円
参考(脱税額) 昭和三八年度分 三、〇一八万一、三四九円
昭和三九年度分 四、四八九万七、六七三円
昭和四〇年度分 八、五〇七万九、〇五一円
(2) 被告人名 医師 蘇天与
事件名 所得税法違反被告事件
裁判所名 京都地方裁判所
宣告日 昭和四七年六月二二日
主文 罰金 二、三〇〇万円
参考(脱税額) 昭和四〇年度分 一、六九四万二、四〇〇円
昭和四一年度分 三、六一一万五、七〇〇円
昭和四二年度分 四、六八九万二、二〇〇円
(3) 被告人名 医療法人 英仁会
(代表者 夏山英一)
医師 夏山英一
事件名 昭和五〇年 (わ) 第二二九号
法人税法違反被告事件
裁判所 京都地方裁判所
宣告日 昭和五〇年一〇月一六日
主文 被告医療法人英仁会 罰金 五〇〇万円
被告人 夏山英一 罰金 三〇〇万円
参考(脱税額) 昭和四六年度 一三七万九、四〇〇円
昭和四七年度 九一九万八、九〇〇円
昭和四八年度 一、三九五万二、一〇〇円
右は全て、検察官から体刑及び罰金刑の求刑が為され、罰金刑のみで処断されたものであります。右の例をまつまでもなく、本件について罰金刑のみを選択されても、その金額について考慮が払われるならば決して他の事件の処分と権衡が失われる訳のものではなく、そのことが却つて事業に生涯をかけられる近藤院長に対する励ましともなり、今後、益々、地域医療に意欲を燃やし納税協力を促進させることとなつて、刑事政策の目的にも合致するものと確信する次第であります。たとえ、執行猶予を付けて頂いても体刑を科せられると医師としての地位及び活動に大変な制約が加えられ、有為な社会的人材をむざむざ葬つてしまいかねないことに重ねて御高配を賜り、何とか近藤院長に対しては罰金刑のみを選択して御処断頂くことを伏してお願い申し上げます。
四、おわりに
弁護人は、今回の事件が生ずるに至つた背景を考えてみますに、どうしても国ないし地方公共団体の医療行政の貧困という問題に関心を払わざるを得ないように思います。
戦後、特に池田内閣の高度経済成長政策により、人口の大都市集中傾向が続き、神戸市におきましても、裏六甲の開発・造成、特に神戸電鉄沿線の開発が急速度で為されていつたものであります。山間の別荘地にすぎなかつた鈴蘭台・山の街は昔日の面影を全て失い、一大住宅都市に変容し、花山台・唐台・有野台・藤原台と大規模な団地が続々と造成され、人口が増加集中し続いているものであります。
公共機関による医療行政は、このような人口の急増にとても追いつけない有様で、北神戸地区には国立又は県立ないし市立の病院や診療所は一つとして存在しないのであります。
病院建設に要する膨大な資金需要、医師看護婦等の職員を集める困難さ、病院建設に対する地元医師ないし医師会の反対運動その他数々の難問を解決しないと病院は開設出来ないのであります。
最初、当時の原口神戸市長は、北神戸の開発に焦点を合わせ有馬の近くに市民病院建設を計画されたようですが、赤字財政に呻吟しておりました神戸市財政から見ましてもとても病院建設がおぼつかないことが判り、近藤院長に市民病院に代るべきものとして病院建設を提案されたものであります。
病院は考え方によつては、学校と同様半公共的機関であります。病院の建設、運営には莫大な資金を必要とします。病院の持つ公共的性格からして、当然、国ないしは地方公共団体から国庫補助ないしは財政援助が為されて然るべきものでありますが、現実には、之が全然為されてないのであります。御影の甲南病院、京都の加茂川病院等経営困難を理由に閉鎖を余儀なくされている病院が現に生じている訳であります。
本来病院建設資金は、国又は地方公共団体が財政的支出によつて賄い、完全な施設を作つて準備しそこへ近藤院長のような高潔な人間性とすぐれた医学知識、治療技術を持つた医師を迎えることが最も望ましい訳であります。
ところが前述のように、神戸市は赤字財政であるために、それを期待することは不可能であるところから、近藤院長は自己の金を蓄預して病院を建設、拡張しようと考えられたのであります。
次に今回の査察事案について特徴的なことは、国税局の調査の不十分不徹底ということであります。各種社会保険制度が充実されている今日、病院の収入は保険から支払われる割合が多く、従つて、支払側の資料について少しでも調査されれば、短時間に正確な病院の収入が把握される道理でありますのに、不思議なことに、国税局も検察庁もかかる調査を全然為さず、専ら質問顛末書作成に重きを置いている訳であります。これでは、正確な所得の把握は不可能であります。財産増減法の採用とあいまつて査察の方法論が間違つているように思料されるのであります。
近藤院長は、今回の件で世間を騒がせてしまつたことを深く反省し、昭和四四年度分、四五年度分、四六年度分について、既に国税局の指導により修正申告(自主申告)を為し、更正決定を受け納税されております。近藤院長には、前科前歴が全然ありませんし、今後再度今回のような事件を生ずることは絶対にないものと確心できます。
原審裁判官は、判決宣言後の説論で、本件について懲役刑が特に選択された理由を、逋脱所得額が高額であつた旨述べられておりますが、仮に、右が高額でありましても罰金刑の金額について考慮が払われるなら決して他の事件の処分と権衡を失するものではなく、そもそも本件において収入把握自体が困難であり、「所得」に多額の預り金が含まれている可能性まで指摘されている訳ですから(「所得」が実収入の数倍、十数倍に水増しされた結果になつております)、本件につき懲役刑という重い刑種を選択された説得力のある理由に欠けるものがあると思料致します。
執行猶予を付すことによつて、再犯への一般警戒を与えられた原審裁判官の御配慮も判らぬ訳では御座いませんが、近藤院長に限り絶対に再犯の生ずる可能性は有りませんので、右の御配慮も杞憂に過ぎないものと思料致します。
私生活を切りつめ、専ら医療に全身全霊を打ち込み、更に高い理想に向つてひたむきに歩んでおられる近藤院長に対しては、是非共罰金刑のみを選択して御処断頂きたいと切にお願いする次第であります。
以上